两位诺贝尔文学奖获奖作家的相遇(日汉双语注音版)

发布时间:2024-06-18 08:18:40

两位作家的相遇(日汉双语)


01 日语原文



ある年のはる莫言モーイエンさんと大阪府おおさかふにある川端康成かわばたやすなり旧居きゅうきょおとずれた。そのとき神戸こうべからかん西さいこくさいくうこうまでマイカーでむかった。かれわたしうなり「飛行機ひこうきではだまってこころなかわるだくみをしていたよ」とった。そしてわらってたずねた。「かわばたやすなりせんせいもこんなかんじじゃなかったかな。どこに行ってもこころなかであれこれ、わるだくみして、あんまりはなさないくせがあったんじゃないかな」

 莫言モーイエンさんは、ぶんかわばたせんせい小説しょうせつけいはっされたとっていた。作家同志さっかどうしのコミュニケーションは現場げんばからくるものがおおい、きているものしゃたずあいでもそれにわりはないのだともった。

 わたし莫言モーイエンさんが川端康成かわばたやすなり旧居きゅうきょおとずれたのは、ある日の午後ごご晴天せいてん無風むふうだった。出迎でむかえてくれたのは川端かわばた遠縁とおえんろうじんで、かみすっかりしらになりこしがっていたが、はなこえちからづよかった。かのじょつえに、とおくがわたせる場所ばしょにわれわれを案内あんないした。かわばたどもころからこうやってへいしたとおくをながていたという。ちかくのものはようとせず、一人ひとりなにもせずにじっといっしょってとおくをながつづけていたと老婦人ろうふじんった。

 わたし川端先生かわばたせんせいエッセイなか当時とうじのことにれた箇所かしょがあったのをおもした。たしかこんな情景じょうけいだ。祖父そふ事業じぎょう失敗しっぱいして、裕福ゆうふく生活せいかつたちまちくず、ずっと子守こもりをしていた女性じょせいしかたなくさとかえっていった。ところが、あるかれさびしくおもっていると、突然とつぜん子守女こもりおんなへいそとからこえをかけてきてかれものをくれた。それ以来いらいかれとおくをながめるのがきになったのは、あるしゅぬくもりおとずれをつためだったのかもしれない

 経緯けいいいてみればこれだけのことであり、それ以上いじょうったはなしはない。ところが、中国ちゅうごく一人ひとり作家さっかしずかに川端先生かわばたせんせい体験たいけんはいんだとき、そこにコミュニケーションがしょうはじめるのだ。莫言モーイエンさんは「ある作家さっかるにはまずかれ経験けいけん必要ひつようがある」という。そのためにはわれわれはたびをしているのであり、莫言モーイエンさんは川端かわばた遠縁とおえん老婦人ろうふじん熱心ねっしん説明せつめいき、川端文学記念館かわばたぶんがくきねんかん館長かんちょういくつも質問しつもんした。どんな質問しつもんだったかわたしわすれてしまったが、かれわたしたずねたことはおぼえている。

 「そのころかれ一緒いっしょあそんだおさな友達ともだちはそのあとどうしたんだろう?」

  どうやら莫言モーイエンさんは川端先生かわばたせんせい子供こどもころとても孤独こどくだったと説明せつめいをあまりしんじていないらしくすくなくとも川端かわばた少年しょうねんにも友達ともだちはいただろう、大勢おおぜいではないにしろ、きっといたはずだおもっているのだ。

 作家さっか莫言モーイエンという一人ひとり生者しょうじゃ中国ちゅうごくからやってきた。一方いっぽうに、川端康成かわばたやすなりという、ガス自殺じさつした日本にほん作家さっかがいる。この二人ふたりがある時間軸じかんじくなか一方いっぽうがもう一方いっぽう経験けいけんからなにつけたとき、文学ぶんがくのコミュニケーションが完成かんせいする。そしてこのようなコミュニケーションが、莫言モーイエンさんがわたしとの旅行りょこうをしている最中さいちゅう実現じつげんしたことは、わたしにとってがたことだ。

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02 中文译文


      有一年的春天,我陪同莫言寻访了川端康成的故居,地点在大阪府。当时,我从神户开车到关西国际机场接他,莫言一见到我就说:“飞机上都没有人说话,憋坏了。”然后他笑着问我:“你说川端康成当年是不是也这样,到哪儿都有犯憋的毛病,话不多吧?”

      莫言承认自己受川端小说的启发,而且还说作家之间的沟通很多都是来自现场的,即便是一个生者寻访一个死者,这一沟通的模式也不会发生改变。
      我与莫言到川端故居寻访是在一个下午,晴天,无风。出来迎接我们的是川端家的一位远亲,满头白发,腰弯弯的,说起话来却中气十足。她手里拿了一根拐杖,带着我们往很远的地方眺望。她告诉我们川端很小的时候就是这样隔着一道围墙往远处眺望的,他不喜欢看近处的东西,宁愿一个人什么也不做,站在原地一个劲儿地往外看,一直把眼睛看得直勾勾为止。
      我记得川端在他的一篇杂文里讲过这段经历,当时的情景大致如下:祖父家破产了,相对富裕的生活一下子都毁掉了。一直为其做保姆的女人也不得不离开。但是有一天,当他心里觉得凄凉时,突然发现保姆站在墙外跟他打招呼,而且还给他送来吃的。从那以后,川端就变得喜欢向远处眺望,也许是为了等待某种温暖的到来。
      事情就是这么平铺直叙,听起来没有过多的曲折,不过,当中国的一位作家悄然走入川端的经历时,沟通也就开始了。莫言说:“了解一位作家最先应该了解他的经历。”这句话显然道出了我们旅行的缘由,莫言一边听来自川端家远亲的热心讲解,一边向川端康成文学纪念馆的馆长提出了不少问题。至于这些问题是关于什么的,我没能记住,但我记住了他问我的问题。
      “你说,当年跟川端一起玩的童年伙伴现在都去哪儿了呢?”
      看来莫言不太相信川端小时候非常孤僻的说法,至少他觉得川端应该有伙伴儿,哪怕不多,也一定有。
      作家莫言,一个生者从中国而来,川端康成,一个吸了煤气而自杀身亡的日本作家。当这两个人处于某一个时间段,一方从另一方的经历当中有所发现的时候,文学的沟通也就完成了。更何况,这样的沟通是在莫言与我一同旅行中实现的,对我而言,是珍贵的。
(毛丹青)

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